ADHDな東大生のブログ

ADHDな理系東大生が日常や考えたことを書くブログです

ある知人の死に思うこと

数日前ニュースで、某広告代理店に勤めていた知人の女性(既に大きく名前が出てしまっているが)が去年自ら命を絶っていたことを知った。しかも裁判を担当した弁護士の方がゼミでお世話になった先生で、悲しいと同時に何とも複雑な心境だ。

知り合いと言っても大学1, 2年の頃に授業で一緒のチームになって、連絡先などを交換したという程度。彼女がその広告代理店に就職したということも、去年に亡くなっていたということも知らなかった。

 

彼女は(亡くなった方を持ち上げる意図は全くないが)ブサメンコミュ障で会話してくれる人すら少なかった当時の自分に分け隔てなく話しかけてくれた数少ない女性の一人で、良い意味で印象深い人だった。

過去のTwitterを見て、性格が悪いとかプライドが高いと批判する意見も目にしたが、彼女なりに苦労した結果現状をシニカルに皮肉ったりするくらいしかできず、あのような文章を記していたのだろう。

 

彼女の労働環境や激務っぷりを考えればゴミのようなレベルだが、ニュースを見ていると思わず自分の文系時代(大学1, 2年の教養学部時代)を思い出す。自分は大学に文系で入学したので、語学のクラスやゼミも文系の同級生たちと受けていたのだが、あの頃は自分にとっては暗黒時代で、実は死すら考えたこともあった。

 

愚痴っぽくなってしまうので多くを書きたくはないが、クラスに(非常に)気の合わない人が数人いたことで孤立し、コミュ障で気弱な自分は攻撃されるしかなかった。さらにADHD故か気が利かず色々やらかしてしまうので、とあるゼミではバカ呼ばわりされていた。私が高校時代に文系を選択したのは、東大文系に入れば将来は華やかな職業(官僚、商社、コンサルetc)に就いて、世界を股にかけて仕事ができると青臭い希望を持ったからだったのだが、実際はそんな仕事に就けるほどの容姿もコミュ力も、要領の良さも持ち合わせていなかった。

 

とにかく感じたのは、文系の世界では容姿、コミュ力や文化資本(帰国子女、海外留学経験etc)、そして社会人になれば体力といった要素が何より評価されるということ。それらを一切持ち合わせていない自分はここで辛酸を舐めるだけに留まらず、将来の就職活動や社会人生活でも上手くいかないことは火を見るよりも明らかだった。

これじゃいかんと資格試験にも走ったが、合格を焦る故基礎の勉強を疎かにしてしまい、試験を受けても一向に受かる気配すらなかった。全てが八方塞がりの状況だった。

 

家族には連日のように愚痴をこぼして迷惑をかけてしまったし、どの方法が一番楽に死ねるのか調べていたこともあった。

 

そうして訪れた大学2年の春に、転機があった。教養学部の授業で、研究室に所属して理系の研究活動を体験できるゼミに参加し、土木工学の研究室で実際に研究をやってみた。そこでは研究室の先生や先輩たちの中にも上手く溶け込めて楽しかったし、実際に調査にも出かけ、得られたデータをどう分析していくか日々考えるのは面白い体験だった。ここなら何かが変わるかも知れないという希望が持てた。

 

そこでとにかく今の状況を、環境を変えたいと決意を固め、ADHD特有の過集中で成績を上げて(その学期は平均点が85点を超えた)すがる思いで理系に転身した。周りには逃げだと言われることもあったし、後で後悔するぞと忠告されたこともある。でもそうするしか方法がなかった。

 

その結果、確かに数学や物理で苦労はしたし、能力面で劣等感に苛まれたこともあった。けれど文系時代のように人間性を否定されたり、親の文化資本(父の転勤で海外に◯◯年いて〜ドヤァ)といった自分の力ではどうしようもない所で評価されるのではなく、学力やプログラミングといったハードスキルで評価されるのは心地よかった。それで評価されないなら自分の努力不足ということで納得もいった。

 

高校時代に結構勉強していた数学は何とか克服して、最後は自分の能力に合いそうな職*も見つけることができた。あの時逃げてよかったかと聞かれれば間違いなく答えはYESだ。

 * 理系職は職種にもよるが、業務内容がある程度定量化できるので激務になりにくい傾向があるように思う。それに過去インターンシップなどで接してきた人を見ると、理系人は仕事が終わればさっさと帰りたいタイプも多く、根性論を振りかざす人が少ない印象だ。

 

-------------------------------------

 

長々と自分語りをしてしまったが、結局何が言いたいのかというと、とにかく自分は逃げたことで状況が改善したということである。逃げというと悪い響きがするが、本当に悪いことなのだろうか。

 

自分はたまたま上手くいっただけかもしれないし、社会人になれば生活も懸かってくるのでそうもいかないことは分かっている。それに、彼女の苦労と比べれば自分の苦労なんて糞みたいなレベルだろう。

 

けど冷静に考えれば、死ぬほど追い詰められた状況より悪い状況はないはずだ。ならばいっそ、リスクを取ってでも逃げた方が状況が改善するかも知れないし、期待値的にも賭けてみる価値は十分にあると思う。ましてや彼女ほどのスペック(学歴、容姿、語学力...)があれば普通の人よりは逃げた先で成功する可能性も高い。そしてどんなに逃げてもダメだったのなら、その時に死を考えても遅くはなかったはずだ。

 

何がそれを妨げたのだろうか。東大卒のプライドだろうか。ならばプライドなんて邪魔な感情だしバカバカしいものだ。それとも、睡眠不足とうつで逃げるという選択肢すら考えつかなかったのだろうか。それとも社会人になると何らかの圧力がかかり、逃げすら許されなくなるのだろうか。

 

無念と、社会人生活への恐怖が募る。