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ADHDな東大生のブログ

ADHDな理系東大生が日常や考えたことを書くブログです

新年の抱負

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

 

今回はかなり個人的な話題ながら、新年の抱負(というよりミッション)をいくつか書き留めておきたいと思います。

 

◆ 進むべき方向を決める

 

2017年に起きる出来事の中で一番大事なのは何と言っても「就職」であろう。ADHDなど達に害がある者にとって「就職」というのは人生で一番の試練になることは間違いない。

まずはこれから入る会社で頑張ってみるのが大前提だが、未だ進むべき方向に迷いがあるのは確かだ。

就職先は概ね定型発達者向けの職場なので不安はあるが、部署によって業務内容も雰囲気も大きく違ってくるし、一度配属されると配属先も固定化される傾向にあるので、初期配属が非常に大事になってくる。

 

最近は研究や諸々の人間関係を通じて、以下のことが分かってきている:

 

① 文系的な人間関係の中に置かれると酷いストレスを感じる

これは自分自身のADHD克服法に原因があるのかも知れない。私はADHD故の衝動性があるので、気を許して素を出した途端に人に迷惑をかける振る舞いやミスをし(これは障害故に止められるものではない)結果嫌われてしまうのを繰り返してきた。

なので最近は、人と接するときは頭をビジネスモードに切り替え、素を抑えてビジネスライクに付き合うよう心がけている。ただベースとなる対人能力が低いので、どうしても無口でシャイ(と言えば聞こえはいいが実際はただキョドッてるだけ)な性格になってしまう。

そのため密度の濃い人間関係には付いていけないし、いずれはコントロールが崩れストレスやミスの原因になってしまうのだ。特に文系的な職場では対人能力が重視され、人に嫌われないのが大事になってくるため非常に警戒している。

 

② 数学やプログラミングなら長時間の作業でも苦にならない。ただ睡眠時間は確保しないと効率が悪く長続きしないし、根性論や精神論で長時間のコミットを強制されると強い反発を覚える

 

以上①、②の背景から、文系的な部署よりも研究開発に携われ、残業も多くない(仮に多くても時間をある程度コントロールできる)場所に行ければいいなと考えている。初期配属さえ上手くいけば後は長く続けられそうだが、ここでしくじると本格的に転職を考えざるを得ないかもしれない。

周りの友人や先輩にはちらほら転職者も出始めているし、やるなら年を喰う前に決断する必要がありそうだ。

今の会社では(総合職である以上)まずはキャリアアップを目指しバリバリ頑張ることになるが、転職先の目星は付いているので、今の会社でキャリアを積み重ねるか、それとも新天地に退避してこじんまりと生きていくか、決断の1年になるだろう。

 

◆ 卒業する

 

進むべき方向を決めると言っても、まずは大学院を卒業できなければ話にならない。一時期は就職活動をやり直したいと留年を考えもしたが、高い学費をもう1年払わなくてはならなくなるし、留年して条件を悪くするよりも1年勤めて転職する方がマシなのでまずは卒業することが絶対だ。絶賛炎上中の修士論文は何としても完成させなければならない。

  

◆ メンタルの問題を克服する

 

普段自分を抑え込もうとする余り家族や親しい人間に当たり散らしたり、大学や大学院で成果が出せず鬱状態に陥ってしまっているので、学生であるうちに専門家によるアドバイスを受けてADHDを抑える手立てを見つけたり、メンタルの不調も治していきたい。

 

 ◆ 尖った人間であり続ける

 

既に周りも就職組が大半を占め、社会人になった途端急に輝きを失って平凡なサラリーマンになる人と、仕事もプライベートも充実させ人生を楽しんでる人に二分されていくのを感じている。

私は頑張ったところで平凡な人間にはなれそうにないし、出世タイプでもないので周りに気を使いすぎる必要もないだろう。だから輝きはしなくても、せめて尖ったままの人間ではあり続けたい。変人なら変人なりに独特の人生を楽しみたい。

 

昨年はいわゆる「自分探し」の一環として、国家総合職の最終合格を活用して複数の省庁に官庁訪問もした(結果は推して知るべし)ので、次回はそれについて書ければと思います。

中高生のあなたへ送る、進路に関するあれこれ、の補足

さっきはてな匿名ダイアリー(いわゆる増田)でこのような記事を見つけた。

 

anond.hatelabo.jp

 

私もこれまで進路選択において数々の間違いを犯してきた。高校の時に文系選択をしたのもそうだし、病院の辛気臭いイメージから医学部受験を速攻で選択肢から外してしまったこと、等々。だから読んでいて思うことも多かったので、(これを書いた人よりは長く生きてきた立場から)色々と進路に関して書けることを書いていきたい。

 

「中高生の間にしておくべきこと、それは、勉強よりも自己分析である。」

 

これは間違いない。いくら勉強して道を進んでも、進む方向を間違っていれば意味がない。 

ただ自己分析では、「自分のしたいことは何か」を見つけることに必ずしもこだわる必要はないと思う。

 

と言うのも中高生が知り、理解できる職業の幅は限られているからだ。この記事では料理人とか、文学とか、看護といった分野が例として挙げられているけど、これは少し漠然とし過ぎているし、いわゆる「誰もが知っている職業」である。けれど、世の中に存在する職業はそんな「誰もが知っている職業」ばかりではない。

 

例えば数学系出身者に人気な「アクチュアリー」(統計分析に基づいて保険料などを計算する人のことらしい)という職業を中高の段階で知っている人は少ないだろう。私も高校の時にR-CAPとかいう職業診断を受けたことがあって、適性が高い職業の中にアクチュアリー」があった。けど当時は「アクチュアリー」が何かも知らなかったし、ふーん、何かかっこいい名前だけどどうでもいいや、という感じで読み飛ばしてしまった。仮に当時知っていたとしても馴染みもない保険業界に興味を持つことなどなかっただろう。社会との接点の少ない中高生の段階で適職を見出そうとするのは難しいのだ。

 

だから中高のうちにやっておくべき一番効果的な自己分析は自分の強み・弱み、好みの傾向を把握して、就職において「絶対外せない条件」を見出すことだと思う。そしてそこから逆算して、行きたい大学と学部を決めることが大切だ。

 

例えば私の場合、ADHD傾向のため対人関係が致命的に苦手だった。中高でもいわゆる「陰キャ」というやつで、文化祭でワイワイ企画をやってもてはやされるような、いわゆる「陽キャ」にはなれなかった。

私には彼らほどのコミュニケーション能力(以下コミュ力)はないし、文化祭の企画のように対人能力が売りの分野では絶対に勝てなかった。そういった原体験から逆算しても、就職ではコミュ力で食っていく仕事ではないということが「絶対外せない条件」だった。

 

なので、大学で文系学部に進学するのは悪手だった。大学に入学した頃は、クラスやゼミに馴染めずにバカにされ、苦労の毎日だった。そしてこのブログの自己紹介でも書いた通り、文系職の大部分は多かれ少なかれ対人能力を売りにする仕事だ(営業職や企画職なんかが代表例だし、東大生に人気の官僚やコンサルだってとにかく人と接する仕事だ)東大文系学部卒の同級生の多くはこうした仕事に就いていった。

このような仕事では、面接の段階からとにかく対人能力が見られる。だから、私のような性格に難のある人間なんてお呼びでなかったのだ(実際就職活動でも文系職は全滅という結果に終わったし、国家公務員試験官庁訪問までは漕ぎ着けたものの面接で弾かれてしまった。)

 

そしてもう一つ気をつけなければならないのは、この手の職場の多くは体育会系気質になりやすく、激務な傾向があるということだ。この手のサービス業では、ここまでやれば終わりというラインがなく、いかに競合相手より多くサービスしたかが問われるからかも知れない(逆にメーカーなら商品を作れば一区切り、という風に業務量が定量化されている)

 

現に金融、商社、コンサル、官僚といった文系エリートの象徴のような仕事はもれなく激務である。激務であるということは寝られないということであり、身体に苦痛を与えなければならないということだ。睡眠は生理的に必要なものなので、これが制約されるのは想像以上の苦痛だ。文系エリート職に就くには過酷な身体的苦痛に耐えられるタフさがなければならないのだ。

実際にそう言ったところに就職した人は、いわゆる「ウェイ系」や体育会系ゴリマッチョのような、私とは住む世界すら違う人間ばかりだった。銀行に就職した同級生も、飲み会宴会芸ゴルフ漬けの日々を送っているようだ。私のような睡眠不足に弱く体力も根性もない人間は、仮に就職できても1年と続かないのがオチだ。

 

私は文系で大学に入学したけど、この事実を予期し危機感を覚えたのもあって、大学2年の時に進学振分け制度(2年生の段階で進学する学部を自分で決められる制度)を使って工学部に理転した。けどこの事実はもっと前に知っておきたかったし、中高生の時に気がついていれば、理系生としてもっと可能性が開けていただろう。

 

私のような人間がいくら頑張ったところで「陽キャ」にも「エリート商社マン」にもなれないのだ。ならば、自らの限界や特性を見極めた上でそれに合った道に行く方がはるかに良かった。

 

補足として、進路選択についてこれだけは頭に入れておくべきだと感じることをいくつか挙げていきたい。

 

文系からの理転は難しい。逆に文転は簡単だし、理系出身でも文系職に就くことは十分可能。

東大には進学振分け制度があるので、私と同様に理転した人は何人か知っているが、やはりド文系からの理転は非常に難しいし、仮にできたとしても選択肢の幅ははるかに狭くなる。実際理転組は数学とプログラミングさえできれば何とかなる数値計算やコンピューター・サイエンスなどの分野で凌いでいる人が多いし(私もそうだ)、逆に物理や化学をゴリゴリ使う分野に進んだ人は聞いたことがない(そういう人もいるが、その手のケースはもともと高校で理系やってて、今は廃止された後期試験で文科系に進んだ人だったりする)

逆に理系出身で文系職に就くことは十分可能で、周りの工学部生にも文系就職組は多い。

 

② 意外と受験は失敗しても大丈夫

就活をして思ったのは、早慶・旧帝以上の大学ならどんな仕事でも間違いなく門戸が開かれているし、仮にそれ以下でも巻き返しは十分可能だということだ。東大閥で知られる国家公務員総合職(旧国Ⅰ)の説明会でもMARCH出身の官僚がいると聞いた。学校は進学実績を良くするためにいわゆる「良い大学」を勧めてくると思うが、大学のレベルに拘りすぎる必要はないし、まずは何をしたいかで進路を決めるのが賢明だ。

 

イメージで進路を決めない

私は病院の辛気臭いイメージから医学部受験を遠ざけてしまい、商社、官僚といったいわゆる文系エリートの「華やかな」イメージから文系選択をしてしまった。金融に興味がある人がそんなにいるとは思えないのに、就職人気ランキングの上位5社が全て金融機関である事実からしても、イメージの華やかさから就職先を決めている人は結構多いと推察できる。

2017年卒 就職希望・人気企業ランキング|キャリタス就活2017|新卒・既卒学生向け就職活動・採用情報サイト

 

しかし、「華やかな」仕事に就くことが本当に幸せにつながるのだろうか。

ある広告代理店新入社員の死 - Togetterまとめ

今やすっかり有名になってしまった、広告代理店で過労死した女性のツイートをまとめたものだが、「なんか華やかな業界なので憧れてます」と言う学生がいる一方、実際に働いている側は激務は辛いし、休日が欲しいただのサラリーマンなのだ。

 

そもそも金融、商社、コンサルといった仕事が「華やか」とは私には思えない。金融なんて言い換えればただの金貸しやディーラーであり、商社だってただモノを回したり投資してるだけ、コンサルはただ資料作って口八丁でアドバイスするだけとも取れる(多くの人を敵に回しそうな発言だがw)。逆にモノを創って社会に直接貢献できるメーカーの方がよほど「華やか」だという見方もできる。

別に前者を貶めたいわけではない。ただいわゆる「華やか」なイメージを持たれる仕事が実際に「華やか」とは限らないし、私のようにイメージ先行で進路を決めて後悔する人を増やしたくないだけだ。

 

仮にそれでも「華やか」な仕事に就いたとして、1日の大半を過ごす場所は同じ会社の人だ。それに、どうせ社会人になれば忙しくて、周りの友人に仕事を自慢できる時間も機会も少なくなる。だから1日の大半を過ごすことになる職場はいかに「働きやすいか」で決める方が賢明だ。

 

* 補足だが、「楽をしたい」という考えを持つことは悪いことではないと思う。ここからは一橋大卒業後、いわゆる「華やか」な出版社を過労で退職されたニャートさんのブログからの引用(一部改変)だが、

 

日本企業では電通に代表されるように、「最高の答え」「諦めない」「プライド」といった綺麗な言葉で、法律上はどう見ても長時間労働の激務なのに、「お前が激務じゃないと思えば激務ではない」と問題をすり替え、自発的な奴隷になるよう促しているケースが多い。
自らが奴隷であることに気づかせないための、「やりがい」「プライド」「仕事は楽しい」なのだ。


電通のような企業が社員に求めるものは、戦時中に大本営が国民に求めたものと同じである。
「体力」「気力」「忍耐力」「奴隷としての従属性」だ。知力はいらない。

長時間労働パワハラ・セクハラをものともせず、クライアントや上司には絶対服従、無理難題も気合いで押し切る社員が、「優秀」とされる。

 

受験エリートであることと、電通のような企業でサバイブするのに必要なこととの間には、何の関連もない。

就職活動時に、最も重要なのはハードな職場を避けることと気づけなかった人は、みな途中で会社を辞めて、専業主婦や非正規雇用に移っている。

 

nyaaat.hatenablog.com

 

「華やかな」職場といったって、しょせんはこんなものなのだ。逆に「楽をしたい」ならしっかり情報収集をして(会社選びには口コミサイトのVorkersとかが参考になると思う。働く社員に直接話を聞いても、綺麗なことしか言わないケースも多いので注意)とにかくハードな職場を避けることが大切。中高生の段階では①どういった業界にホワイトな会社が多いか調べ、そして②将来その業界に就職できるだけのスキルを磨ける学部に進学しておく、のが戦略として考えられる。

 

④ 迷ったら医学部へ

 それでもやりたいことが分からない場合は、ひとまず優先順位は医学部>その他の理系学部>文系学部と考えておくのが無難だ。ごく身近に医学部の人がいて話を聞く機会も多いが、やはり待遇、資格職という安定・安心、そして仕事量をコントロールできる裁量権(激務が嫌なら楽な科もあるようだし、バイトでも食いつないでいける。研究者の道へも開けている)において医学部に勝るものはなかった。いくら東大卒でもサラリーマンじゃ待遇や労働環境における裁量権は小さい。東大生でも医学部編入目指す人は多いし、私もできることなら医学部編入したい。

 

中高生という立場から見れば、この投稿も年食ったオッさんが若者に説教するようでウザく感じられるかもしれない。けどこの際虎の威を借りてでも言う。一応腐っても名門進学校出身、東大現役合格で一流大企業に就職決まってみて強く感じるのは、「受験は多少失敗してもなんとかなるが、進路を誤ると取り返しが付かない」ということだ。

 

私が中高生の時はとにかく受験優先という感じで、将来に向けた自己分析もアンケート程度、将来のキャリアについて深く考える機会は少なかった。受験に専念するのは悪い事ではないが、今になってしとけば良かったと思うのは将来に向けた情報収集と自己分析だった。

 

わたし世界を知るのが遅すぎた。

大学生になってからではもう取り返しがつかなかった。

 

これは私も同じだ。

 

先ほども述べた通り、受験で多少失敗しても人生に大きなダメージはない。けど、一度進路の方向を誤ってしまえば取り返しがつかなくなる。私は目の前の勉強や同級生との競争ばかり意識したことで、肝心な進むべき方向を誤ってしまった。なんとか大学で工学部に転身してリカバリーは図ったけど、もし中学高校でもっと理科を勉強していたら、今頃医学部に行ったり(お前に受かる実力があるのかとは突っ込まないでほしい笑)、企業の研究所に入って化学や生物の研究をしていたかもしれない。今頃は新しい薬を創って病気で苦しむひとたちの役に立てたかもしれない。

 

だからどんなに目の前にことで忙しくても一度立ち止まって、これまでの人生を振り返り、進路選択を考えてほしい。長くなってしまったけど、この投稿が誰かの目に止まってせめて注意喚起くらいにでもなってくれれば望外の喜びである。

例の過労死の件で

先日の話をまたぶり返すようだが、とある知人が件の過労死自殺の件であの程度の残業時間で死ぬのはどうかなーと思う、とSNSに投稿しているのを見て久しぶりに憤りを感じてしまった。

 

覚悟が足りないとか迷惑だとか言うけれど、激務に耐えられるかどうかは実際に働いてみないと分からない所もあるだろう。それに忙しさの度合いや雰囲気(パワハラがあるかetc)といった要素は部署や上司によっても違ってくるし、就活の段階でそれらを選べるわけでもない。

 

かくいう彼は学生だし(また働いてもないのに残業大したことないって...笑)、大学の周りでも激務な会社に行きたいという人は多いのだが、あえて強い言い方をすればちょっと想像力が足りないんじゃないかなと思う。

現にそういう会社に行った知り合いはもれなくSNSで仕事の愚痴を言ってるし、たとえ地味でもホワイトな会社に行った友人は、飲みの場でも自分の会社を誉める人が多かった。よほど仕事が好きな人は別だが、彼らを見ていると本当にイメージで会社は選んじゃいけないと実感する。

 

件の過労死自殺に関しては色々な意見があるのを見かけたし、勤務先の広告代理店を非難する向きもある。けど結局問題なのは、気軽に職業選択も転職もできない今の日本の環境や制度にあると思う。

 

会社は利害で動くのだから、いくら綺麗ごとを言っても会社が労働環境を改善する動機はない。ならばいっそ、学生側も過重労働を課す会社には就職しない、ブラックな会社はどんどん辞めていく、という風にキッパリと動けば、需要と供給の関係から会社にも労働環境を改善しようというモチベーションができるかも知れない。

 

けどそれも現実的ではない。現行の新卒一括採用制度の下では一度入った会社にずっと勤めるのが安定だし、転職市場の流動性も低くやり直しが利きにくい。それに学生側も出世したい、同期に勝ちたいというモチベーションがあるので(例えるならゲーム理論囚人のジレンマやチキンゲームに近いだろうか)我こそは長時間働こうと意気込む人も多い。だから互いに協力して長時間労働の是正へ働きかけようという行動には向かわないし、同期を見ててもそう感じる。

 

将来は比較的長時間労働を嫌う人が多い今の世代がトップになって、そういう方向の意識が醸成されるかもしれないけど、それまでは残念ながら今回の悲劇も繰り返されるように思えてならない。働き方改革の下、過労を防止するための規制や法律を国が率先して作ってくれるならいいが、果たしてそう上手くいくだろうか。

 

だから今のところは、個人レベルで自衛意識を持って、できるだけブラックな場所を避けたり、会社に依存しなくて済むよう将来の転職に困らないスキルを磨いておくしか手がないように思える。自分も市場価値の高い資格の勉強をしたり、海外就職も考えたりと視野を広く持っておきたいところ。

ある知人の死に思うこと

数日前ニュースで、某広告代理店に勤めていた知人の女性(既に大きく名前が出てしまっているが)が去年自ら命を絶っていたことを知った。しかも裁判を担当した弁護士の方がゼミでお世話になった先生で、悲しいと同時に何とも複雑な心境だ。

知り合いと言っても大学1, 2年の頃に授業で一緒のチームになって、連絡先などを交換したという程度。彼女がその広告代理店に就職したということも、去年に亡くなっていたということも知らなかった。

 

彼女は(亡くなった方を持ち上げる意図は全くないが)ブサメンコミュ障で会話してくれる人すら少なかった当時の自分に分け隔てなく話しかけてくれた数少ない女性の一人で、良い意味で印象深い人だった。

過去のTwitterを見て、性格が悪いとかプライドが高いと批判する意見も目にしたが、彼女なりに苦労した結果現状をシニカルに皮肉ったりするくらいしかできず、あのような文章を記していたのだろう。

 

彼女の労働環境や激務っぷりを考えればゴミのようなレベルだが、ニュースを見ていると思わず自分の文系時代(大学1, 2年の教養学部時代)を思い出す。自分は大学に文系で入学したので、語学のクラスやゼミも文系の同級生たちと受けていたのだが、あの頃は自分にとっては暗黒時代で、実は死すら考えたこともあった。

 

愚痴っぽくなってしまうので多くを書きたくはないが、クラスに(非常に)気の合わない人が数人いたことで孤立し、コミュ障で気弱な自分は攻撃されるしかなかった。さらにADHD故か気が利かず色々やらかしてしまうので、とあるゼミではバカ呼ばわりされていた。私が高校時代に文系を選択したのは、東大文系に入れば将来は華やかな職業(官僚、商社、コンサルetc)に就いて、世界を股にかけて仕事ができると青臭い希望を持ったからだったのだが、実際はそんな仕事に就けるほどの容姿もコミュ力も、要領の良さも持ち合わせていなかった。

 

とにかく感じたのは、文系の世界では容姿、コミュ力や文化資本(帰国子女、海外留学経験etc)、そして社会人になれば体力といった要素が何より評価されるということ。それらを一切持ち合わせていない自分はここで辛酸を舐めるだけに留まらず、将来の就職活動や社会人生活でも上手くいかないことは火を見るよりも明らかだった。

これじゃいかんと資格試験にも走ったが、合格を焦る故基礎の勉強を疎かにしてしまい、試験を受けても一向に受かる気配すらなかった。全てが八方塞がりの状況だった。

 

家族には連日のように愚痴をこぼして迷惑をかけてしまったし、どの方法が一番楽に死ねるのか調べていたこともあった。

 

そうして訪れた大学2年の春に、転機があった。教養学部の授業で、研究室に所属して理系の研究活動を体験できるゼミに参加し、土木工学の研究室で実際に研究をやってみた。そこでは研究室の先生や先輩たちの中にも上手く溶け込めて楽しかったし、実際に調査にも出かけ、得られたデータをどう分析していくか日々考えるのは面白い体験だった。ここなら何かが変わるかも知れないという希望が持てた。

 

そこでとにかく今の状況を、環境を変えたいと決意を固め、ADHD特有の過集中で成績を上げて(その学期は平均点が85点を超えた)すがる思いで理系に転身した。周りには逃げだと言われることもあったし、後で後悔するぞと忠告されたこともある。でもそうするしか方法がなかった。

 

その結果、確かに数学や物理で苦労はしたし、能力面で劣等感に苛まれたこともあった。けれど文系時代のように人間性を否定されたり、親の文化資本(父の転勤で海外に◯◯年いて〜ドヤァ)といった自分の力ではどうしようもない所で評価されるのではなく、学力やプログラミングといったハードスキルで評価されるのは心地よかった。それで評価されないなら自分の努力不足ということで納得もいった。

 

高校時代に結構勉強していた数学は何とか克服して、最後は自分の能力に合いそうな職*も見つけることができた。あの時逃げてよかったかと聞かれれば間違いなく答えはYESだ。

 * 理系職は職種にもよるが、業務内容がある程度定量化できるので激務になりにくい傾向があるように思う。それに過去インターンシップなどで接してきた人を見ると、理系人は仕事が終わればさっさと帰りたいタイプも多く、根性論を振りかざす人が少ない印象だ。

 

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長々と自分語りをしてしまったが、結局何が言いたいのかというと、とにかく自分は逃げたことで状況が改善したということである。逃げというと悪い響きがするが、本当に悪いことなのだろうか。

 

自分はたまたま上手くいっただけかもしれないし、社会人になれば生活も懸かってくるのでそうもいかないことは分かっている。それに、彼女の苦労と比べれば自分の苦労なんて糞みたいなレベルだろう。

 

けど冷静に考えれば、死ぬほど追い詰められた状況より悪い状況はないはずだ。ならばいっそ、リスクを取ってでも逃げた方が状況が改善するかも知れないし、期待値的にも賭けてみる価値は十分にあると思う。ましてや彼女ほどのスペック(学歴、容姿、語学力...)があれば普通の人よりは逃げた先で成功する可能性も高い。そしてどんなに逃げてもダメだったのなら、その時に死を考えても遅くはなかったはずだ。

 

何がそれを妨げたのだろうか。東大卒のプライドだろうか。ならばプライドなんて邪魔な感情だしバカバカしいものだ。それとも、睡眠不足とうつで逃げるという選択肢すら考えつかなかったのだろうか。それとも社会人になると何らかの圧力がかかり、逃げすら許されなくなるのだろうか。

 

無念と、社会人生活への恐怖が募る。

自己紹介

日々考えてることや感じたことを表現する機会がほしいと思い、ブログを始めてみました。せっかく始めたので、まずは軽い自己紹介でも。

 

今から約25年前、とある地方都市にて生誕。小さい頃は多動性障害の症状があり、薬を処方された時期も。ADHDの主な症状に不注意や衝動性が知られてますが、自分はまさにその典型例で数々の問題行動を起こしたり、通っていた学習塾をクビにされそうになったことも(実際先生の言うことが聞けず、合気道の教室はクビにされてしまった。。。)

 

小学校も高学年になって、いよいよ中学校への進学を意識し始める。そこで公立中学は荒れていて暴力沙汰もあると聞いて恐怖を抱き、私立中学の受験を決意。1年弱の受験勉強の末何とか県内トップの中学に合格。

対人関係は相変わらず苦手で、中高時代は部活などでも多少の軋轢はあったが、(さすが有名私立というところか)周囲の友人もハイレベルで性格も良く、ADHDの自分でも楽しく過ごすことができた。

高校までは成績も低迷したが、ADHDの特性の一つである過集中を活かして受験勉強に励み、東大へ入学。

 

東大入学後は学部・進路選びで大きく迷走するが、

・対人関係が苦手で体力もないため、どうしても体育会系気質になりがち&コミュ力が求められる文系職は不向き

・上記の理由で自分は出世タイプではないので、巷でよく言われる人間力()ではなくスキルで生きていきたかった。文系職では弁護士や会計士などの難関資格でも取らない限り、そういう生き方は難しそう

 

という理由から工学部への進学を決意。低迷してた成績を過集中で底上げして理転を実現する。現在は大学院在学中で、春の就活ではとある日系大手企業への内定を獲得。文系的な華やかさに惑わされず、専門職系統で自分と同じような人(理系で大人しそうな人たち)が比較的多そうな職場を選んだのが奏功した形だが、その前に何十社も落とされた苦い経験が。。

 

ただADHD故ミスが多い性質なので、その会社でもいつかクビか閑職に追いやられる可能性が否定できないのが不安なところ。その前に修士論文が絶賛炎上中なので、そもそも無事卒業して就職できるのかが見ものである。

 

p.s.  idがmrsadhdとなっていますが、自分は男です。当初mradhdというidで登録しようとしたところ、メールアドレスを1文字誤って登録してしまい断念。ここにもADHDぶりを遺憾なく発揮してしまいました。。